2024年10月20日・礼拝メモ
良いわざに熱心な選びの民として
聖書箇所: テトスへの手紙2章1~15節
使徒パウロの弟子はテモテとテトスでした。テモテには目をかけ丁寧に訓育して来ました。きっと体も精神力も弱かったのかも知れません。 一方、テトスは余り気を配らず、ストレートに扱いました。テトスは、テモテに比べて、たくましい体と精神を持っていたようです。
1.良いわざに熱心な選びの民として、伝道者に選ばれることは栄光です。労苦にも精神力にも逞しい人が適任者として選ばれる事が多い。しかし、そればかりとは限りません。召命が確かであれば、神の選びの器としてやって行けます。苦労はありますが、希望を持って進む事ができます。必ずしも、心が強い人が選ばれるとは限りません。伝道者に召される方を神様が造って下さいます。中にはテモテのようなタイプの人も多いのではないでしょうか。テモテにパウロは気を配って大切に扱った面があります。しかしテトスは全くその心配はなく、ストレートにものを言っても物怖じせず、直面する困難に絶えて行ける賜物がありました。彼らには良い業の模範者となるよう勧めています。先週は召天者の記念礼拝を持ちましたが、墓に納められた方々は、有名人でもなく、信仰に生きた人と言える方々でした、様々な弱さを信仰によって乗り越えた人達です。そうした面で、弱い器の人の方が多かったのではないでしょうか。安らかに眠っておられます。目覚めるのはイエス様の再臨の時であり、決して置き去りにされる事はありません。
2.良いわざに熱心な選びの民としてイエス様に付き従うなら。苦労はあるかも知れないが、その生涯に希望を持って進む事ができる。大いなる神であり、救い主であるイエス・キリストの栄光ある現われを待ち望み、罪赦された生涯の偉大さを噛みしめて生きます。昔、大阪伝法教会では、毎週日曜の夜、教会の兄姉は皆、路傍に参加して戦いました。その中には有名人は1人もなく、皆,イエス様を信じている普通の人でした。しかし、日曜日の夕刻と夜は伝道集会に励んだのです。賛美を歌いながら路傍の案内をして夜の伝道集会に臨んだのです。祝福に満ちた望みをもって霊に燃え主に仕えた信仰者の姿でした。
3.今日は教団創立記念日です。パウロのテトスに当てた手紙から、テキストを選ばせて頂きました。当時と時代は変わりましたが、変わらぬ御方が「私達をすべての不法から贖い出し、良い業に熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめて下さいます」(2:14)今週も信じて行きましょう。