2025年04月06日・礼拝メモ

わたしの霊によって

この都度の年会で主の恵みにより、「立ち上がり行きなさい。主が呼んでおられる」と語られ、再度、湘南中央教会に主牧共々ご任命を頂きました。30日の80周年記念式典では「わたしの霊によって」と今朝開きましたゼカリヤ4章より語られました。このみことばは教団の展望のメッセージであり、湘南中央教会へ、また遣わされた私共へのメッセージであります。ゼカリヤ書は、バビロン捕囚より、帰国したイスラエルの民がクロス王の援助を頂いて神殿の再建を始めたが周りの敵の妨害により、中断されていた。主は、ゼカリヤを通して、ユダの民に奮起をうながし、奨励を与えた。主は、再建のため、祭司ヨシュアと総督ゼルバベルを立てたが、3章では、祭司ヨシュアをサタンが原告として罪や怠慢を訴えている。けれども、神は彼を弁護された。神が絶対的権威をもって、彼を選び任命をしたと語り、サタンの口をふさぎ、ヨシュアの汚れを聖めた。
4章はゼルバベルへの激励の幻である。
Ⅰ その幻は何か—金の燭台
これは帰国した国民を表し、2本のオリーブの木はヨシュアとゼルバベルを表す。
Ⅱ 幻のメッセージは何か—それは「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と。福音宣教、教会建設は、人の能力、権力によってではなく、わが霊。神様と神の御霊によらなければならない。人の力の空しさ乏しさに徹する時こそ、神様が乗り出して働かれる。
Ⅲ その結果―困難障害の大山は除かれ平地となる。そして、恵みあれと喜びつつ、頭石が運び出され、神殿は完成する。2本のオリーブの木は、2人の油注がれたヨシュアとゼルバベルで彼らを通して、油(聖霊)が燭台に注がれ、ともし火皿に注がれ、光輝く、ともし火となる。
合同礼拝では「私の恵みはあなたに充分である」「私の力は弱さの中に働くと」語られた。私の力とは聖霊の力、わが霊である聖霊に満たされ、聖霊に信頼し、従う歩みをして参りましょう。必ず御霊の注ぎより、課題、問題の大山も平地となり、霊の宮が建て上げられる。

Copyright© 2025 インマヌエル湘南中央キリスト教会 All Rights Reserved.