2020年10月25日・礼拝メモ
光の子、昼の子
聖書箇所:Ⅰテサロニケ人への手紙 5章1~11節
テサロニケの手紙は再臨書簡と言われています。
「主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、
あなたがた自身良く知っています。」
- 突如「号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下ってこられます。(4:16)」①合図の号令。②天使のかしらの声。③神のラッパです。その日の前兆として10ぐらいのことが記されていますが、だれもその日は断定できません。
再臨の主を待つ姿勢として3つのこと。
- Ⅰ、目を覚ましている事。イエス様の譬えに「花婿である主を迎える10人乙女の姿」があります。賢い5人の乙女は、ともしみ皿と、油を用意していた。油の用意がなかった5人は、閉め出されてしまった。油は聖霊を意味しています。
- Ⅱ、身を慎んでいる事。何もしないで待っていることではありません。主のタラントの譬え-主人は各々の能力に応じ、5,2,1タラントを(1タラントは6000日分の給料)渡し、主人の帰宅時に、報告が求められました。5→10へ、2→4へ、1→1(穴を掘って埋めて、隠して死蔵した)前者2人は善かつ忠実な僕として称賛され祝福されますが、後者は処罰と財産没収の不名誉で閉じられています。
- Ⅲ、武具を身につけて。光の子、昼の子として、絶えず悪魔と戦い勝利を得る事です。救いの望みのかぶとは最終的な信仰者の救いの完成の希望です。地上の全被造物はうめきながらその希望の日を待ち望みます。悪魔は賢いですから光の使いのような姿で来るのです。だまされないように。