2020年11月08日・礼拝メモ
教会の祈りとペテロの救出
聖書箇所:使徒の働き 12章1~17節
- 来週は宣教聖日を迎えます。教会の歴史を見ると平和な穏やか時代より、厳しい試練や迫害を通して信仰が練られ鍛えられてきました。初代教会はまず同胞のユダヤ人議会から起こり、更に当時の支配者ヘロデ王からの迫害を受けました。使徒ヤコブが剣で殺され、続いて使徒ペテロが囚われ、過越の祭りの後、処刑される前夜までに至っています。本日はこのペテロの救出の出来事を通して、クリスチャンの基本である罪による拘束からの解放、救いの体験について心を留めましょう。
- 私たちは実際に、鎖につながれ拘束された経験はないでしょう。しかしキリストに出会うまでは、罪の鎖に繋がれて囚人の身であった事です。詩篇51篇は、あの有名なダビデ王の、一等星のように輝いていた信仰が、フトした事から罪の暗黒の鎖にしばられ、預言者を通して赤裸々な罪の悔い改めの告白をし、見事にその鎖から解かれて、もう一度、あの輝かしい信仰に立ち返った体験の証です。ペテロの救出は信仰者に降りかかる、罪に関わるあらゆる束縛からの解放を意味してます。「神よ 私にきよい心を造り、揺るがない霊を、私のうちに新しくして下さい(10節)」とダビデは祈りました。
- 一方背後の教会の祈りはどうでしたでしょうか①一致した祈りでした。「あなたがたのうちの2人が地上で心を一つにして祈るなら・・・父はそれを叶えてくださいます。(マタイ18:19)」②ペテロのため集中して祈りました、③心を注ぎ出し、全能者に向かい窮地を訴えました。④そして継続して祈ったのです。主は天使を遣わし、神の恵みの御業を成し、救出されたのです。