2020年12月06日・礼拝メモ
ザカリヤの賛美
聖書箇所:ルカの福音書 1章57~80節
- ルカの福音書は失われた人々に対する神の深い憐れみが語られています。共通している言葉は「聖霊に満たされる」ことでした。先週の主の母マリヤ、エリザベツ、今日のザカリヤの賛美も聖霊に満たされての賛美です。
- ザカリヤとエリザベツの夫妻には長い間、子どもが授かりませんでしたが、その高齢の夫妻に子供が与えられることを天使によって告げられたのです。信仰を持って受け取るには余りに高いハードル、いや過去の聖徒の何人もがそのような証を持って生まれた事を知っていましたが、自分では信じ受け入れる事ができず、ついに愚痴をこぼし、不信に心が傾いてしまった。それで10ヶ月間の聞く事も喋る事もできない謹慎の時となりました。そこから解放されて、献げたザカリヤの賛美です。
- ほむべきかなイスラエルの神(68節)。
神様に対してつぶやく、疑問をぶつける事も、神様はよしとして受け取っては下さいますが、熟練した信仰者はストレートに自分の口から賛美を献げます。「主は、私の口から出る賛美を受けるにふさわしい御方です。」どれほど彼の不信の暗黒を打ち破っての信仰的な第一歩でしょうか。「賛美をすると若返る」と言われています。
- 救いの角(ダビデの裔として)を私たちのために(69節)。
動物の角は力の象徴です。神の救いの力(十字架と復活)は人の心を闇から一変して光の世界に入れられる力です。罪による闇の負の財産を抱えて、途方に暮れている人は沢山います。しかし、ダビデ王のように、負の部分も悔い改める事によって、見事にプラスに変えられるのが救いの御業です。