2022年04月10日・礼拝メモ
ゲッセマネの3回の苦祷
聖書箇所「マタイによる福音書26章31~46節」
受難週を迎えました。イエス様はご自分の立場を考えると、苛立ちご自身が心がかき乱される様なただ中で、平安を残すと言われたのです。今日はイエス様の苦闘→苦祷に心を向けたい。ゲッセマネでの祈り。3回祈られた。同じ言葉でしたが、イエス様の心が煮詰まって行きました。その結果、主はイザヤ53章のお言葉の通り十字架の刑罰を甘んじて受けられたのです。
- 1回目の祈り。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから取り去って下さい。・・・」と人の罪のため、神に罰せられ、呪われる苦しみ。迎える十字架刑はどんなに辛い厳しいものかを知って祈られ、側近の弟子達に、目を覚まして一緒に共に祈るように切願したのではないでしょうか。
- 2回目の祈り。「しかし、わたしの望むようにではなく、あなたの望まれるように、なさって下さい。」と視点を自分の思いでなく御父の意向に服従された。弟子達は一時間も目を覚まして、主の姿を見守ることができず、眠り込んでしまった。何と私たちの肉性ではこの霊的な重圧には耐えられないことが分かります。心は燃えていても祈りの場ではもろくて弱いのです。イエス様のように祈りの勇者に成長しましょう。
- 3回目の祈り。「時が来ました、人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ行こう・・・」このゲッセマネの祈りを要約すると主は御父の御前に、自らを注ぎ出し、悲しみ悶えて、血の汗を流すほどの苦闘をされた。それに対し、弟子達は眠りこけてしまった。しかし天使が現れて、イエスを力つけられ、そして、祈りは抜けられた。(ルカの福音書22章43節)