2020年07月26日・礼拝メモ
毒麦の譬―世の終わりには
聖書箇所:マタイの福音書13章24~30、36~43節
今日は毒麦の譬えです。マタイの福音書にだけ記されている譬えです。良き種を良き畑に蒔いたつもりが、思わぬ展開になる事もある。この毒麦の譬えは警戒の言葉です。
- 悪魔がキリストの働きを邪魔するゆえ「油断せず、絶えず警戒をしつつ、収穫の時を待つように、事態を見守って行きましょう」と言うのが教訓かも知れません。良き種を良き畑に蒔いたのは御国の子たちで、素直に信仰に導かれて、成長盛りの神の子どもたちの姿です。ところが、39節に語られているように、「毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫は世の終わりであり、刈る者は御使いたちです。」
- 収穫の時に全ての決着がつく。まず毒麦が火に投げ込まれて処分される。良き麦は天の御倉に治められる。この世を創造された神は、ご自分の権威を持って締めくくられると言う厳粛さを心に留めておくことは大切です。
- 42節「火の燃える炉の中に投げ込みなす。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」なんと言う恐ろしい言葉でしょう。神を離れたたましいの不幸な運命です。警告の言葉として心に留めましょう。しかし真に悔い改めて、神の子と生まれ変わった魂は43節「その時、正しい人たちは彼らの父の御国で太陽のように輝きます。」人生の結末はこの二者択一の選択を持って締めくくられるのです。「あなた方の霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、責められるところのないものとして保たれていますように。」(Ⅰテサロニケ5:23)